にんげんドキュメント 第20回

 

鬼塚 忠 おにつかただし

 

ベストセラーを連発する

日本初の「作家エージェント」

 

訥弁で話が脱線、企画書も

月並みな”ヒットメーカー”

 

在日韓国人という逆境にありながら、バイオリン製作を独学で学び、世界有数の作り手に登りつめた男の物語『海峡を渡るバイオリン』。SMAPの草g剛が、実在する在日韓国人の主人公役を演じたテレビドラマは、昨年、文化庁芸術祭優秀賞を受賞した。

 

このドラマには、原作となった同名のノンフィクション本がある。日本人初の作家のエージェント(交渉代理人)会社アップルシード・エージェンシー代表の、鬼塚忠(39)が出版プロデュースした一冊だ。

 

その他にも、和田裕美『世界No.2セールスウーマンの「売れる営業」に変わる本』、加藤昌治『考具』、李小牧『歌舞伎町案内人』など、創業三年半で一〇万部を超えるベストセラー本四作、五万部超のヒット本八作、映画化一作という、華々しい活躍ぶりだ。

 

独立前、鬼塚は都内の外資系版権エージェント会社に約四年間勤めている。版権エージェントとは、外国書籍の日本語翻訳権を、作家の代わりに営業する交渉代理人のこと。彼はそこでヒット本作りのノウハウを学んだ。

 

エージェントの仕事は多岐にわたる、と鬼塚は言う。

「出版社へ作家を売り込んだり、原作の映画化権やテレビ放映権を売ったりします。その本を出したいという出版社が複数あれば、より多い初版部数や、より高い出版印税率で契約を結ぶための交渉も、私がやります。」鬼塚の収入も、作家が出版社から得る印税収入から、その数パーセントを交渉代理手数料として得ている。

 

こう書くと、その実績を含めて鬼塚がいかにも交渉の達人で、立て板に水のようにしゃべりまくり、相手を惹きつけて離さない人物と思われがちだが、それは違う。

まず彼はどもる。しかも取材者の質問に答えるふりをしながら、自分が話したいことを延々としゃべる癖がある。出版企画の売り込みという仕事柄もあるだろうが、あからさまに止めないと、彼の話はなかなか終わらない。かなり取材者泣かせな男だ。

 

また、ダイヤモンド社の書籍編集、佐藤和子は言う。

「鬼塚さんが売り込む人物はユニークだし、彼が文章の目利きであることは間違いありません。ただ、企画書はプロから見ると説得力に欠ける。本の構成案も月並みだから、最初の頃は、企画会議で上司から『この本の売りは何なんだ?』と突っ込まれて、私も苦労しました」

そんな男がなぜ、わずか創業三年半で、出版界のヒットメーカーになることができたのだろうか。

 

この三月、鬼塚は作家のエージェント業について書き下ろした『ザ・エージェント』(ランダムハウス講談社)を出版した。その担当編集である小泉伸夫は、今から五年前、鬼塚が前の会社に勤めていた頃からの付き合いだ。

「当時、会社の幹部に同行して、彼が勤めていた会社に打ち合わせに行き、会議後にみんなで食事をとりました。そこに後から加わったのが彼でした。新人営業マンだった彼はいきなり大学卒業後、二年間海外放浪したときの話を熱く語りはじめたんですよ」と小泉は苦笑する。

インドで仏陀が悟りを開いたという場所に行ったら麻原彰晃に会った話、スペインの牛追い祭りに参加して、牛に踏み潰されそうになった話などだ。

 

「その場の空気なんてお構いなしで、延々と一人で熱く語っていました。食事会とはいえ、ビジネスの延長なのにですよ。まるで違う人種に会ったような驚きでしたね」

だが話してみると、好きな本のタイプが似ていて盛り上がり、二人は仕事を離れて会うようになる。そこで小泉は、改めて彼の異人種ぶりを痛感する。

「歌が下手なのにカラオケ好きで、マイクを放さない。ぼくが歌うと、傍らで歌い出して音程を狂わせるんですよ。あと、子供時代に、鹿児島の彼の実家近くの裏山で遊んでいて遭難しかけたとき、蟻を食べて空腹をしのいだと彼が話すから、どんな味だったかと訊くと、表情も変えずに『甘苦、甘苦』って。あの話は強烈でした」

だが、鬼塚は次第に「営業ではなく、自分の手で作業を育てたい」と一人熱く語るようになり、独立を果たした。

 

鬼塚の著書で、無名の作家と彼がどう出会い、どんな関係を築いてきたのかという部分を読むと、ヒットメーカーたる理由が垣間見えてくる。

『元サラ金取立てナンバーワンが書いた 自己破産せずに借金を返す法』の共著者の一人、金森信二郎は、「ぼくは鬼塚さんに足を向けて寝られませんよ」と言う。

サラ金会社勤務だった頃、金森は借金返済法についてのメールマガジンを、インターネット上で個人的に発行していた。ある日、それを読んだ鬼塚から電話が入る。

「初対面で『君のまず本を一冊出して、将来はコンサルティング一本で生活していくんだ』って、鬼塚さんは言ってくれました。最初に企画を持ち込んだ大手出版社でボツになっても、『必ずなんとかするから』って励ましてくれて、実際に大手出版社を見つけてくれました」

 

鬼塚は原稿の書き方を丁寧に金森に教え、その後の出版パーティでは、気後れする金森を伴い、いろんな人間に紹介するなど、細やかな気配りを発揮した。

鬼塚の勧めで、マーケティング本を数冊出版している兄の金森重樹は、ある忘年会での出来事を明かす。

「鬼塚さんがある人の原稿を誰彼となく見せながら、『これ、すっごくいいんですよ』と語っていました。所構わず、自分が惚れた人を熱く語れる人なんだと痛感しましたね。ぼくや弟の本も、そうして売り込んでくれたんだろうなぁと思うと、ありがたいですよ」

ヒットメーカーの、もうひとつの顔がそこにある。

 

 

才能を見抜く眼と

惚れる力の一点突破

 

「私が相手に惚れる要件は、その人柄やキャリアや、書いた文章が私の心に響くかどうか。それに金森さんの『元サラ金取立てナンバーワン』みたいに、そのキャラクターを一〇文字前後にコピーできるかどうか。無名の作家を売り出すときには大切なポイントです」(鬼塚)

一度惚れたら、何十社に断れ続けようと諦めない。

お金儲けより、自分が惚れた作家と、映画化などの大きなプロジェクトに挑める喜びのほうが大きい、とも語る。

「鬼塚さんが売り込みにきた企画を断ると、落ち込むんですよ。反面、私が断った企画が他社から出版されてヒットすると、早速電話してきて、『大きな魚を逃がしましたね。どうか、参ったと言ってください』って・・・」

前出の佐藤もそういって苦笑する。彼女だけでなく、他の編集者や作家たちの話を訊くと、鬼塚の欠点をあげながらも、彼との仕事を楽しんでいると感じられるのは、生来の人気者が持つ憎めなさゆえだろう。

鹿児島市在住で、鬼塚と小学校から高校まで同級生だったSさんも「昔から明るい性格で、人を笑わせるのも好きだから、クラスの人気者でした」と話している。

 

また、他業界同様、出版界も多品種少量生産が主流だ。ある書籍編集者は「多い人で年間三〇冊のノルマを抱えていて、編集作業を外部に委託している人も多い。そうなると、どうしても”こなし”仕事になるし、無名の新人を発掘するような余裕なんてありませんよ」と言う。

そこに才能を見抜く眼と惚れる力を武器に売り込む、エージェント鬼塚が活躍する余地が生まれる。しかも、”こなし”仕事で考える企画と、自分が惚れた人間しか売り込まない彼の企画では、おのずと勝負は見えている。ある意味、本は作り手の「熱」を世に広める道具だから。

 

一方、前出の『考具』の著者、加藤昌治はこう話す。

「日本企業で働いたことがないから、場の空気を読む気遣いや、マナーが身についていない。いい意味で、鬼塚さんは野生児です。だから面白いときは面白いけど、時折、年下の僕でさえ、無性に説教したくなりますから」

だけど、加藤は続けた。大半の人がたえず他人と自分を比べて、あらゆる面でデキる人になりたいと減点方式で考える。だから鬼塚さんの奔放さが一層際立つ、と。

 

なぜ、無名の作家の発掘にこだわるのかと訊くと、鬼塚の答えは明快だった。「有名大学から有名企業に入社して成功した人の話より、大きなハンデや逆境を克服して成功した人の物語のほうが、断然面白いからですよ」

それは彼自身の軌跡とも重なる。そして周囲が指摘した、場の空気を読めない彼の言動の数々を問いただすと、最初は反論したが、最後はニタッと笑ってこう言った。

「だって、自分の性格って直せないじゃないですか」